虹の橋のその後——待っている間、その子はどう過ごしているのか

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いつもの場所に、ふと目が向く。ごはんの時間になると、立ち上がりかける。帰ってきた玄関で、あの子の名前を呼びそうになる。

お別れをしたあとも、暮らしのあちこちに、あの子と過ごした時間が残っています。そんなとき、「今ごろ、どうしているのかな」と思うことはないでしょうか。

ちゃんと眠れているだろうか。寂しくしていないだろうか。大好きだったことを、また楽しめているだろうか。

「虹の橋」という言葉に触れて、少しほっとする方もいれば、「そこでずっと待っているのなら、寂しいのでは」と、かえって気がかりになる方もいると思います。

虹の橋のお話には、動物たちが苦しみから解放され、穏やかに過ごしながら、大切な家族との再会を待つ風景が描かれています。その風景を手がかりにすると、待っている間のあの子の姿も、少し違って見えてくるかもしれません。ここでは、お話に語られる情景に、あの子との思い出を重ねながら、その時間をたどってみます。細かな仕草や一日の様子は、物語からふくらませたひとつの解釈です。

心に馴染む風景があれば、そこだけをそっと受け取っていただけたらと思います。

目次

目を覚ましたら、やわらかな日なた

日なたでやわらかく眠る犬

虹の橋のお話で語られる、穏やかな場所。あの子の好きだった日なたを重ねてみると、まぶしすぎない光の中で、安心して体を預けている姿が浮かぶかもしれません。

草の上かもしれませんし、おうちで気に入っていた毛布のような場所かもしれません。大きな伸びをひとつして、また丸くなる。急いで起きなくても、誰かに合わせなくてもいい、静かな朝です。

走るのが好きだった子なら、少し先で揺れる草に気づいて、駆け出すでしょうか。眠るのが好きだった子なら、片目だけ開けて、もう一度うとうとするかもしれません。小さな羽を広げる子、鼻をひくひく動かして、風のにおいを確かめる子もいるでしょう。

「元気でいてほしい」と願うとき、思い浮かぶ姿は、それぞれ違うのだと思います。思いきり走る姿も、のんびり眠る姿も。その子がその子らしく、心地よくいられることを、私たちは願っているのかもしれません。

苦しみから解放されるという物語の描写には、「もうつらい思いをせずにいてほしい」という願いを重ねることもできそうです。あの子が気持ちよく目を覚ます朝を、そこに思い浮かべる方もいるかもしれません。

あの子らしい、一日の過ごし方

朝のひと休みが終わったら、今日は何をするのでしょう。

初めての場所でも物おじしなかった子は、さっそく向こうの丘まで出かけていくかもしれません。慎重だった子は、居心地のよい場所から、しばらく周りを眺めているでしょうか。ほかの子がそっと近づいてきても、すぐに仲よくならなくていい。ほどよい距離で、一緒に風に吹かれるだけの日もありそうです。

どんな景色よりも、想像の中で鮮やかに浮かぶのは、あの子の小さな癖だったりします。

眠る前に、くるりと向きを変えること。好きなものを見つけると、耳やしっぽが先に動くこと。こちらの様子を確かめてから、また自分の好きなことに戻っていくこと。

その仕草をよく知っているのは、一緒に暮らしてきたあなたです。虹の橋の景色を思い描くとしたら、立派な楽園でなくても、そんな見慣れた姿のある場所でよいのだと思います。

大好きだったものを、おいしそうに食べている。気持ちのよい寝場所を見つけて、満足そうに目を閉じる。「ああ、あの子ならそうしそう」と、ほんの少し口元がゆるむような一日が、そこにあったらいいですね。

「待っている」を、穏やかな約束として

「家族を待っている」という言葉に、胸が締めつけられることもあると思います。玄関で帰りを待っていた姿を覚えているからこそ、今もずっと、こちらを探しているのではないかと。

虹の橋のお話には、再会を待つあいだにも、動物たちが遊び、穏やかに過ごす風景があります。そうした描写をたどると、「待つ」という言葉も、寂しさをこらえることだけではなく、いつかまた会えるという安心を含んでいるように読めるかもしれません。

遊んで、休んで、好きな場所を見つける。そんな一日の途中で、ふと顔を上げる。その表情は不安そうではなく、名前を呼ばれたときのように、やわらかい。

物語の中の時間を、こちらと同じ時計で数えなくてもよいのかもしれません。あの子にはあの子の、穏やかな時間が流れている。そんな受け止め方もできそうです。

「また会えたらいいね」という願いを持ちながら、私たちはこちらで、ごはんを食べ、眠り、明日の用事をしていてよいのだと思います。あの子を想うことと、自分の毎日を生きることは、一緒にあってよいのです。

涙の日まで、あの子の心配を背負わなくていい

あの子が穏やかでいてくれたらと願っていても、こちらには涙の止まらない日があります。写真を見たい日も、見ることがつらい日もあるでしょう。

そんな日に、「私が泣いていると、あの子も安心できないのかな」と気になることもあるかもしれません。けれど、あの子の幸せを願う気持ちと、会いたくて涙がこぼれることは、一緒にあってもよいのではないでしょうか。

虹の橋に描かれる穏やかな風景を、悲しんではいけないという決まりに結びつける必要はありません。泣いている日にも、笑えた日にも、あの子は日なたでくつろいでいる。そんなふうに受け止める余地も、このお話にはあるのかもしれません。

反対に、誰かと話して笑ったあと、しばらくあの子のことを考えずにいたと気づいて、胸が痛むこともあるかもしれません。そのひとときがあったからといって、一緒に過ごした年月や、大切に想う気持ちがなくなるわけではありません。

寂しさがあるまま笑う日も、昨日より涙がこぼれる日も。気持ちをひとつに揃えずに過ごしてよいのだと思います。

最後の日だけではない、あの子との時間

「もっと何かできたのでは」「あのとき、違う選択をしていたら」。虹の橋にいる姿を想像しようとしても、お別れの前後のことばかりが浮かぶ日があるかもしれません。

その問いに、今すぐ答えを出さなくてもかまいません。ここで「後悔しないで」と言われても、簡単にはそう思えないこともあると思います。

少しずつ思い出せるようになったときには、最後の日より前の、何でもなかった一日が、ふと浮かんでくることもあるかもしれません。

ごはんを待っていた顔。そばで眠っていた午後。名前を呼んだら、振り向いてくれたこと。毎日取り替えた水や、整えた寝床。特別な出来事ではなくても、そこには、あの子とあなたが一緒に暮らしていた時間があります。

虹の橋で過ごすあの子を思い描くことは、そうした日々の姿に、もう一度会いにいくことでもあるのかもしれません。

今はつらい場面しか浮かばなくても、ほかの思い出まで消えてしまったわけではありません。無理に探さず、ふと顔をのぞかせてくれる日を待ってもよいのだと思います。

「今日はね」と、話しかけたくなったら

夕方になったら、想像の中のあの子も、お気に入りの場所で休んでいるでしょうか。その姿に向かって、「今日はね」と話しかけたくなることがあるかもしれません。

「あなたの好きそうな日なたがあったよ」「今日は少し疲れたよ」「やっぱり会いたいな」。立派な言葉でなくても、生前と同じ話しかけ方でよいと思います。

写真やお骨壷のそばに、小さな花を置く。いつもの場所で、名前を呼ぶ。声には出さず、心の中で今日のことを伝える。自分に馴染む形があれば、それを大切にしてみてください。

お骨壷のそばに白い小花を置く手元

何かを飾ったり、毎日話しかけたりするのがつらい時期には、何もしない日があってもかまいません。供養の形や回数で、あの子への想いを量る必要はありません。

言葉が届いているかどうかは、確かめられません。それでも、話しかけるひとときが、あなたにとってあの子と過ごす時間になることはあるのだと思います。

あなたの心に馴染む、虹の橋で

虹の橋のその後に、どんな景色が広がっているのか。本当のところは、誰にもわかりません。

ここまでたどった風景も、虹の橋のお話に思い出や願いを重ねた、ひとつの受け止め方です。草原より、いつもの部屋で眠っている姿のほうがしっくりくるかもしれません。遠くで待っているというより、思い出すたび、すぐそばに感じられるほうが自然な方もいるでしょう。虹の橋という言葉を、今は受け入れられなくてもかまいません。

物語に、ご自身の気持ちを合わせなくても大丈夫です。あなたがよく知っているあの子の姿が、心に馴染む風景を見つける手がかりになるかもしれません。

虹の橋の風景にあの子を重ねると、今はもうひと眠りしているでしょうか。遊びの続きに戻っているでしょうか。いつもの、少し得意そうな顔をしているかもしれません。

「今日も、あなたらしく過ごせていたらいいな」

そんな願いをそっと置いて、こちらでも、ひと息つけますように。会いたい気持ちを、会いたいまま抱えていても。あの子と過ごした時間を、あなたの歩幅で大切にしていけますように。

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