ペットの命日—「帰ってきた気がする」という感覚と、その日にできること

ペットの命日にいつもの場所へ差す午後の光|帰ってきた気がする感覚

命日が近づくと、あの子が帰ってきたような気がする。

あの子のことをふと思い出す回数が増えた気がする。夢を見た。いつも寝ていた場所をなぜか見てしまった。「気のせいかな」と思いながらも、命日の前後は、そんな日が続くことがあります。

その感覚の受け取り方と、命日・一周忌にできる小さなことを考えます。

目次

「帰ってきた気がする」という感覚のこと

たとえば、こんな瞬間です。

においがした気がした。
名前を呼んだら、どこかから返事が来るような気がした。
何もないのに、あの子がいたほうをつい振り返った。

なぜそう感じるのか、はっきりしたことはわかりません。命日という特別な日への意識が、普段より強く記憶を呼び起こすのかもしれない。スピリチュアルな考え方では、その子の魂が近くに来てくれているという見方もあります。

どれが正しいかよりも、そう感じた気持ちが大切だと思います。

「帰ってきてくれた気がした」と感じるのは、おかしいことでも、いけないことでもありません。

命日にその子を感じたなら、ただそのままでいていい。何かしなければと焦らず、その気配をそっと受け取っていていいと思います。

その日にできる、小さなこと

ペットの命日にできる小さなこと—いつもの窓辺で眠るペットの三毛猫

命日に「何かしなければ」という気持ちになる方もいますが、決まった形式はありません。やりたいと思うことを、やりたいだけやれば十分です。

たとえば、骨壷のそばに好きだった花を一輪添えること。おやつや好物を供えること。一緒に撮った写真を引っ張り出して、しばらく眺めること。そのくらいでいい。

ほかの子と暮らしているなら、お供えした食べ物や花は、その子の口が届かない所に置き、食べ物はその日のうちに下げてあげると安心です。

写真やお骨壷の前で、声をかけるのもそのひとつです。かける言葉に決まりはありません。「〇〇、今年もこの日が来たね」「ありがとう。会いたいね」——いつもの呼び名で、ふだん話しかけていた調子のままで。

言葉を書いて添えたくなったら、場面ごとの文例を「亡くなったペットへ贈る言葉」にまとめています。

「今日は何もできなかった」という日があっても大丈夫です。

よく行った散歩コースをひとりで歩くのも、静かな時間になることがあります。あの子と歩いた道を、同じように歩く。

一周忌という節目のこと

亡くなってから一年目の命日を「一周忌」と呼びます。

一周忌は、ひとつの区切りではありますが、「ここで気持ちを切り替えなければいけない」というものではありません。一年経っても悲しいままでいい。穏やかになっていなくても、それはおかしなことではない。

ただ、一周忌を「ゆっくり振り返る日」にする、という過ごし方もあります。

飾っていた写真を新しいものに変えてみる。祭壇のまわりを少し整える。いつもより丁寧に手を合わせる。そんな小さな「整え直し」ができる日になるかもしれません。

「特別なことは何もしない」という一周忌も、自然なことです。その子との関係の中で、自分がどう迎えたいかで決めて大丈夫です。

つらくなる日があっても、おかしくない

命日が近づくにつれて、気持ちが沈んでくることがあります。思い出したくないのに思い出してしまう。涙が出てくる。それは悲しみの自然な動きです。

一年経っても、二年経っても、命日のたびに胸が痛くなる方はいます。それは「まだ引きずっている」ということとは違います。悲しみに期限はありません。

逆に、今年の命日は穏やかに過ごせた、という方もいます。どちらも正解です。その年その年で、気持ちは変わっていきます。

命日の過ごし方に正解はありません。ただ、思い出してあげるだけで、十分だと思います。

眠れない・食べられないとき
ペットロスで眠れない・食欲がないとき|心と体が辛いときの向き合い方 夜になると思い出して、涙が止まらなくて、眠れない。眠らなくていいんです。横になるだけで。少しだけ体を休める方法を。
骨壷のそばでできること
ペットの骨壷のそばで—毎日の自宅供養でできる小さなこと 骨壷を自宅に置いて、毎日その子のそばにいる。手元供養を選んだあと、「何をどうすれば正しいんだろう」と迷う方は、意外と多いようです。 決まったルールも、やり方も...

悲しみの波は、日によって形を変えながら続くかもしれません。気持ちの整理に役立つ記事を「ペットロスと気持ちの整理」にまとめています。つらくなったときに、開いてみてください。

ペット供養|おしゃれでかわいい、しっぽの骨壺

  • URLをコピーしました!
目次